昨日できあがった写真を改めてよく観察すると、本当に美しい写真を生み出すレンズだと再認識する。しかもそれは、マウントアダプターを介してデジタルとして処理されるのではなく、フィルムという化学反応によって描き出されるときに本当の力を発揮するのだと分かる。私がデジタルカメラに完全移行できないのは、まさにこの理由なのだ。電気信号ではなく化学反応によって得られる写真が、自ずと別のものとして表現されるのは当然だろう。百年以上にわたって続けられてきた写真という化学反応の文化が終わろうとしているのは間違いない。新しいフィルムカメラが発表されることはなく、APSフィルムは既に絶滅してしまった。私がいまだ現役として使っているのは、極めて稀だろう。いずれなくなる文化だとしても、私が終わらせる訳にはいかない。なぜなら、それによってでしか表せない表現が存在するからだ。
実を言うと、また最近、カメラ機材欲しい病に罹っていたのだ。それで、最近のフィルムカメラ事情を知る意味も込めて、色々と調べてみた。すると、自分が思っている以上に、市場が無意味に過熱していることが分かった。名機と呼ばれるカメラを中心に、値段が高騰している。もうどこも作っていないのだから、人気のカメラやレンズが品薄になるのは当然だが、それにしてもいささかやりすぎの感を否めない。特別感も手伝って、やや人気が先走りしている気がする。投機筋もいるのではないかと勘繰りたくなる。おそらく熱狂的なフィルムカメラ愛好家や、フィルムカメラを新しく発見した若人たちも含まれているのだろう。いずれにしても、私が気軽に買える金額ではなくなっている。
それで、新しく何かを入手するのを諦めたのだが、かえってそれが正解だったようだ。手元のカメラやレンズを改めてよくよく試したとき、それらがとてもよくできていると気づかされたからだ。特に、現在愛用中のCONTAX G1 + Planar 45/2 + ポートラ160の組合せは、私にとって殆んど完成形と言っても過言ではないくらいに、理想の写真を表す。色々と浮気心も生まれるが、それを忘れさせるくらいの美しさがここにある。それがある限り、私はフィルムカメラを使い続けるのだ。カメラとレンズとフィルムの三位一体が作り出す美の完成形は、人類が百年かけて培った文化的財産だ。おいそれと打ち捨てるわけにはいかない。