プランナートムの利用とWikiWikiWebとの違い

先日、無事にプランナートムを復活させることができた。そして再びこのソフトウェアを使いこなそうと考えた。しばらくぶり(約七年振り?)、なので忘れていることが多い。それで、こちらもかなり古い本だが、プランナートムに関する本を引っ張りだしてきて思い出すことにした。

マックのアイデア発想法という本で、約二十七年前に出版されている。この本の中で、舘神龍彦さんが記述した部分のKさんが、わたしのことだ。つまり、約三十年前の自分に教えを乞うかたちだ。プランナートムは多機能かつ高機能なので、やれることは沢山ある。だから今まで使い続けてきたとも云える。カードという文章のまとまりが増えるとやれることが増えてくる。だから、今はそのカードを増やしているところだ。(この文章もそのカードの一つだ)。

自分の経験では、こうした情報のかたまり(カード)が百を超えてくると、意味のある集合体を複数作成することができるようになる。その思想は現在、中島Wiki(MediaWiki)に継承されている。HDDがクラッシュするまえのプランナートムのデータも全てこの中島Wikiに引き継がれている。せっかくまっさらなところから再びプランナートムの情報群を構築できるので、今更バックアップ情報を元に戻そうとは考えていない。むしろ、これからどのような思考の情報網ができるのか楽しみだ。

改めてプランナートムとWikiWikiWebの違いについて考える。前者のほうが後者に比べて、情報の連携を密にしやすい。前者は、一つの情報(カード)を他の情報(カード)群と組み合わせることによって、新しい意味を生み出すことがたやすい。一方で、後者は前者に比べて、他者との連携がたやすい。また、もともとのソフトウェアの哲学として、間違いを直しやすいのがWikiWikiWebなので、そうした機能に優れている。たとえば、変更履歴や変更の巻き戻しなどだ。プランナートムは、パラグラフ、カード、箱という概念を用いて情報を縦横無尽に使おうという哲学がある。パラグラフの独立や分割、カード化などが容易なので、情報の整理がしやすい。プランナートムが個人のソフトウェア(個人知)なのに対して、WikiWikiWebは集合知と云うこともできる。自分が運用している中島Wiki(MediaWiki)は、そうはいっても自分一人で運用しているので残念ながら、MediaWikiの間違い訂正機能と情報蓄積機能を主に使っていることになる。そうした特徴を踏まえると、同じ情報をプランナートムとMediaWikiの双方で蓄積するということに十分意味があることに思えてくる。世間的には既に死に絶えたソフトウェアだが、少なくとも、こうしてプランナートムの記事を書こうという意欲が湧いてきたことは間違いない。プランナートムはわたしを動かすソフトウェアなのだ。というのも、プランナートムを再び使うためにSKKを準備し、そのためにはEmacsを使う必要が生じ、そして今、新しくEmacsの操作方法を学ぼうと始めているからだ。四半世紀以上に渡って、viユーザだったわたしにとっては、革命的といっても過言ではない。それだけの価値がプランナートムにはある。

プランナートムとWikiWikiWebの違いについて、些細なことだがわたしにとっては重要なことに、題名(タイトル)が必要かどうかというのがある。WikiWikiWebではどうしても構造的にWikiNameが必要になる。つまり、まだ考えがまとまっていないうちからその考えに対して明確な名前を付ける必要がある。これが実はかなり難しい。一方プランナートムは、ひとまずぼんやりとした考えでも題名無しに記述しておくことができる。この安心感はわたしにとってはかなり大きい。なんなら、考えてはみたけれど、やっぱり要らないということもたやすく出来る。そういう点でも適材適所ということが当てはまる。残念なのはもう三十年近く前のソフトウェアということだ。こうしてプランナートムの良さを記しても、使用者人口が増えることは絶対にないだろう。